大阪府議会議員 かじき一彦 公明党

グローバル体験プログラムを見学 その2

8月23日(金) 雨のちくもり

 6月に続き、大阪府が府内の高校生や中学3年生を対象に実践的な英語の体験をしてもらう「グローバル体験プログラム」を見学しました。

 この日は「インバウンド旅行者 英語でサポート体験」がテーマです。①駅構内で地下鉄の乗り換えや切符の買い方がわからない人への案内(写真1)②街なかで道を聞かれた時の案内(写真2)③大阪の観光スポットや食べ物などの魅力をアピール(写真3)、の3場面を設定、高校生たちは一生懸命に英語で話していました。

 話す相手は日本に来ている留学生や、プログラムを企画・運営するECC国際外語専門学校の外国人教員たちです。普段から日本人を相手に英語を教えている外国人教員は生徒たちが積極的に話せるよう、雰囲気を盛り上げてくれていました。

 初対面の人を相手に英語で話す、というのは高校生にとってハードルが高いかもしれません。今回の経験を生かし、英語を話す度胸や自信をつけてくれることを願っております。


写真1

写真2

写真3

公明党府議団で知事に政策要望

8月21日(水) 晴れ

 公明党大阪府議会議員団は吉村洋文知事に対し、府政の施策並びに行財政に関する要望を提出しました。(写真)

 府議団からは①児童虐待ゼロへ、SNSを用いた相談強化や子ども家庭センターの充実など体制づくりの促進②高齢運転者の安全対策として運転支援装置の購入補助をはじめ、実車試験や限定免許の導入に向けた国への働きかけ、などを要望しました。

 私も海外進学を目指す高校生を対象にした「おおさかグローバル塾」の定員枠の大幅拡充を訴えました。


会派で福島県を視察

8月5、6日(月、火) 晴れ

 会派で福島県の視察に出かけました。

 まず国立研究開発法人日本原子力開発機構楢葉遠隔技術開発センター(楢葉町)を訪れました。東日本大震災で大事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所(大熊町・双葉町)の廃炉に向けた技術開発の拠点です。(写真1、2)

 具体的には、原子炉内の調査や核燃料の除去などのために使う遠隔操作のロボット技術開発や、各地の大学と連携した人材育成にあたっています。2016年4月から本格運用を始め、過去3年間で166件の利用実績があります。

 また、全国の高等専門学校を対象にした「廃炉創造ロボコン」をこれまで3回開催、18年12月には15校16チームが参加しました。「17歳、18歳の若い世代のアイデアを募りたい」のが狙いだそうです。

 午後はJヴィレッジ(楢葉町)にお邪魔しました。1997年に完成したサッカーのナショナルトレーニングセンター(写真3)ですが、福島第一原発故の対応拠点としても使われていました(写真4)。

 今年4月に全面再開し、JR常磐線の新駅も開業しました。伺った日は少年サッカーチームが元気に合宿をしていました(写真5)。来年4月には人気アイドルグループの野外コンサートも予定されています。サッカーにとどまらない地域の賑わいづくりの拠点の役割が期待されます。

 さらに、福島県ふたば医療センター附属病院(富岡町)へ(写真6)。18年4月に開院し、福島第一原発事故からの復興に向け①住民が安心して帰還し生活できる②復興事業従事者が安心して働ける③企業等が安心して進出できる、を医療の面から支える役割を担っています。

 特筆すべきは多目的医療ヘリの拠点になっていることです。このヘリを使うことで救急患者の搬送、医師や看護師、医薬品・資器材の緊急搬送ができます。救急車なら1時間かかる搬送がヘリなら12分で済み、患者の身体への負担が軽くなる、とのことです。

 この日はたまたま駐機していた多目的医療ヘリの前で記念に1枚撮りました(写真7)。

 2日目の午前は福島県庁で「福島イノベーション・コースト構想」について説明を受けました(写真8)。①廃炉研究②ロボット③エネルギー④農林水産、の4つの重点分野があり、前日伺った楢葉遠隔技術センターも①の要素です。

 構想実現に向けた取り組みとして交流人口の拡大や教育・人材育成などがあります。19年度は補助事業で18大学・高専が25のプログラムを実施しています。

 大阪からも大阪大学が飯館村、近畿大学が川俣町と連携し、環境放射線についての研究、モノづくりやアグリビジネスといった復興支援に取り組んでいます。

 南相馬市には今年度末の全面完成を目指し「福島ロボットテストフィールド」を整備しています。市街地や土砂崩れを起こした場所、橋梁やトンネルなどを再現し、実用性の高いロボットの開発につなげます。

 また、東日本大震災、福島第一原発事故の記憶を次世代に語り継ぐアーカイブ拠点施設を20年夏完成予定で双葉町に建設しています。原子力災害の経験や教訓を生かした防災・減災や、復興への挑戦がテーマとなります。

 大震災と原子力災害の両方の経験からどう立ち直り、どう次世代のために生かしていくか、大がかりな取り組みとなります。引き続き注目していきたいですね。

 午後は大内宿(下郷町)に行きました(写真9、10)。江戸時代は会津若松市と日光今市を結ぶ街道の宿場町で、現在も茅葺屋根の民家が道の両側に残っています。1981年に国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。未来にこの街・景観を引き継ぐため、「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を盛り込んだ住民憲章をつくっています。

 戊辰戦争の際には会津に攻め込んできた官軍が大内宿にも来たそうですが、命乞いが通じ焼き払われることもなく、街並みを守ることができたそうです。

 案内してくれたガイドさんによれば、明治時代以降、街道の往来がなくなり、さびれていた大内宿の再評価は昭和40年代、建築が専門の大学生と教員が大内宿を訪れたことが始まりだそうです。現在は年間80万人が訪れ、大型連休などは大渋滞ができるそうです。違った視点が入ることで本来の価値を見出し、次世代に受け継ぐことのできた好例だと感じました。

 福島県は47都道府県中3番目に大きい県です。1日目に訪問した楢葉町、双葉町など太平洋側の浜通り、福島市や郡山市などのある中通り、猪苗代湖や磐梯山のある会津、と3つの地域に分かれ、それぞれに個性があります。1泊2日の短期間でしたが、すべてを訪問できたのがよかったと思います。

 おまけの2枚。往路の飛行機から見えた富士山(写真11)、福島県内の道の駅で見つけたTOKIOによる農産物の宣伝ポスター(写真12)です。


写真1

写真2

写真3

写真4

写真5

写真6

写真7

写真8

写真9

写真10

写真11

写真12